密室で祈るというと、
ひとりぼっちの部屋で静かに祈ること
でしょ?
え?
違うんですか?
・・・
「密室で祈る」というのは一般的にはクリスチャン用語ですね。
マタイによる福音書6章6節には、
祈るときには奥まった自分の部屋に入り、戸を閉めて、隠れたところにおられる父に祈るように
と書かれています。
「隠れたところにおられる父に祈る」、とは
どういうことでしょうか。
知花先生は、
密室の祈りがどのようのものなのか、
について「密室の祈り」の講話の中で語っています。
「密室に入る」とは、
いつも知花先生が瞑想について仰っていることと同じように、
神と一体となって、自我から解放される状態のことを指しているようです。
密室の密とは、
見えない世界に入る、すなわち天国に入る
ともいえるでしょう。
五感の肉体の感覚が残った状態ではないようです。
ましてや欲望で祈るような自我の状態で祈るものではないのですね。
ただ、父に祈るというと、
自分と神とが分離しているように思えてしまいます。
しかし、
本当は自分が神と一体となることであると。
イエス様もまた、そのような深い瞑想をされていたのですね。
私たちも肉体があるうちに、
天上界へ入るひとつの訓練として
自我から解放される瞑想の練習をしていく。
そのようなことを繰り返し忍耐強くやっていくこと。
それが今世で悟りを目指す人の瞑想だ
ということで、
密室の祈りは
自分が肉体ではなく霊そのものであると自覚していく
そういうものにつながるのですね。
霊という実在と一体になった時、
そこで思うこと・祈ることは
神の創造原理が働くわけですから、
正しい思いとして実現するわけですね。
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